不幸にも腎不全に陥った患者は,生命維持のために血液浄化法である透析治療を余儀なくされるが,腎移植をうけない限り,死ぬまで透析治療を甘受しなければならない。透析導入当初はほとんどの患者が透析治療に陰性的感情を抱くが,徐々に年月をかけて透析治療に慣れ親しみ,最後は精神的な受容に至るとされている。しかしながら,精神的な受容に至るまでの道のりはとても長く,精神的苦痛を感じながら受容に向けて心の整理を行う。
 透析患者の長くて苦しいプロセスを医療スタッフが理解することは,透析患者の精神心理状態を理解するうえでとても重要であるし,よりよきコミュニケーションを築くためには不可欠のことのように思われる。
 上記の点に関しては,たとえ透析治療がHDであってもPDであっても腎機能を失うという身体的,精神的な喪失体験はまったく同じである。以下に,順を追って,腎機能の喪失体験に始まる透析患者の精神心理について言及する。今回は,透析導入前の腎不全患者の錯綜する心理状態を解説する。
腎機能の喪失体験から悲哀の仕事へ
 腎不全患者のほとんどは,人工腎臓である透析治療の必要性を主治医から知らされると,精神的に落胆し失望感を抱く。誰でも,半永久的に透析治療をうけないといけないことを告知されれば,落胆するのは当然のことであり,どちらかといえば,自然な心理反応と解釈できるものであろう。
 見方を変えて,心理学的にみれば,「対象喪失」とよばれる心理状態に相応する。対象喪失とは,親や兄弟の死や失恋などのようにその人にとってかけがえのない人物や大切にしておいたものを亡くしたり失ったり,役割や地位などのように有形のものではないが大切なものを失ったりすることをいう用語であるが,腎不全や癌の告知のように,身体機能の一部を失ったり,死を宣告され身体機能を完全に失うかもしれないということを知らされたりするときにも,対象喪失とよばれる心理状態に陥る。
 腎不全による対象喪失とは,腎機能が廃絶し透析治療を余儀なくされるという意味であるが,これもまたかなり大きな対象喪失であり,腎不全患者の中には「ハンマーか何かで頭を殴られたような気持ちになる」,「頭のなかが真っ白になる」などと心の内面を表現する人もいる。癌やHIVの告知後にみられる心理状態と同様に,ほとんどの患者は対象喪失とそれに引き続いて行われる悲哀の仕事を行う。

悲哀の仕事 ―否認,不安,怒り,そして抑うつへ―
 腎機能を失えば,透析治療なしでは生きていくことができないため,腎不全患者は透析治療がどんなに嫌であっても,透析治療を受け入れなければならない。確かに表面的には何事もなかったかのように透析治療をうけている人も少なくないかもしれないが,腎不全患者の心の中は不安や葛藤,恐怖などを始めとして色々な心理状態が錯綜し,精神的に相当な苦痛を感じているはずである。そして,腎不全患者は長い年月をかけて腎機能廃絶という事実と透析治療をうけなければならないという事実を精神的に受け入れていくわけだが,この一連の心理的プロセスを「悲哀の仕事」と呼ぶ。
 まず最初に透析の必要性を知らされると,かなり大きな精神的打撃をうけるが,それと同時に「まさか自分に限って透析をうけることになるなんて……いや,何かの間違いに違いない。先生は冗談をいっているだけだ」と現実の世界を否認しようとする心理状態に陥る。
 われわれの日常生活においても「否認」の心理機制は頻繁に使っている。例えば,自分に都合の悪い局面,認めたくない事実や出来事に出くわすと,「自分には関係ないことだから……」と無視しようとすることが少なくないように思われる。例えば,われわれ人間はいずれ死ぬわけであるが,通常,死に対する不安や恐怖を抱えて生きている人はそう多くはない。なぜなら,「人間は死ぬことはわかっているが,今の自分に関係ない。ずっと先のことである」と死に対する不安や恐怖を否認して生活しているからである。ただし,死に直面している人や死ぬかもしれない状況に置かれている人は死を強く否認しても,わきあがる不安や恐怖を抑えきれないために,死への激しい不安感を感じるかもしれない。また飛行機に乗るときに「自分が乗っている飛行機に事故なんて起きるはずがない」と事故の可能性を否認することで,不安なく飛行機に乗ることができる。これらの一連の心理状態は,事実を打ち消すことで情緒的に不安定になることを防ごうとする,「否認」とよばれる心理機制である。
 しかしながら,腎不全患者は否認の心理機制だけでは,情緒面の揺れを抑えることはできない。ほとんどの腎不全患者の脳裏には将来への不安や死への不安がよぎる。それと同時に,「なぜ自分だけがこんな目に遭わないといけないのか」という自己の運命に対する怒りの感情がわいてくる。怒りの感情は,家族に向けられることもあれば,医療スタッフに向けられることもある。
 患者によっては,対象喪失を精神的に受け入れることができないことに加え,いろいろな心理機制を駆使しても情緒面の安定を得られないために,結果として,抑うつ的になることもあれば,透析治療拒否という問題行動を示す患者もいるかもしれない。その反応は患者によって異なるが,心のなかでは到底すぐには認めることのできない透析治療に対し,無意識レベルで色々な心理機制を駆使して,情緒的破綻を来さないようにしている。最近は少なくなっているが,この時期には錯乱状態にまで発展する患者もいる。しばしば茫然自失となり,現実検討能力が損なわれるほど精神的に不安定になる患者もいれば,透析治療を強く拒否する患者もいる。


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