戦後このかた日本人は音に無関心になってきた。街を歩けば店頭でスピーカーが大音響をあげ,店員は呼び込みに声を枯らす。流行歌手のライブなどに行ったことはないが,その音量はテレビから想像しても耳に障害がおきそうだ。一方,小さくても気になる音がある。ヘッドホーンからもれてくる「チンタカ,チンタカ」とリズムを刻む音だ。これは多くの人が経験していることだと思う。本人は目をつぶって恍惚の境地だが,周りの人は堪ったものではない。注意をして殴られてもとじっと我慢し,他の席が空けば,そちらに移って難を避ける。
観光地などでは,スピーカーが我勝ちにわめき出し,景色を楽しむどころではない。スキー場なども朝から晩まで,これでもかという音量で歌を流し続ける。
もう一つおまけに,あのミュールと呼ばれているつっかけ,階段を降りる時にけたたましい音をたてる。地下街などでは100m四方に響きわたり耳が痛くなるような騒音だ。公共の場でこんな大音響をあげながら歩いている人は,どんな顔をしているのか思わず振り向いてしまう。大体この靴は建物の中でおしゃれに履く物だ。通勤中には何がおきるかわからない。地震や事故などに遭ったら,どう対処するつもりなのか。危機管理が全くできていない。
かつて,大きな音で皆の注意を引くために使われていたのはメガホンだった。それもボール紙をラッパ状にしただけのものだ。その後,音を大きくする道具として,マイクロホンが出てきた。メガホンは「大きな音」という意味,力もないのに片意地張った名前がつけられている。一方,マイクロホンは文字通り「小さな音」だ。実際には大きな音が出るのに,名前は遠慮がち。しかしこの発明が,歌の領域を大きく変えた。現在,芸能界で活躍している歌手の多くは,マイクがなければ世に出られなかったに相違ないし,カラオケなどもこんなに普及はしなかっただろう。
1970年代に流行っていた歌声喫茶は,全員参加で伴奏に合わせ歌を歌ったが,カラオケは1人が歌うのを皆が我慢して聴くというパターンになり,マイクの独占で殺人事件までおきている。
話が大分外れてしまった。今回は秋。何か秋に因んだものを書こうと思ったところだ。
秋といえば澄んだ空に透き通る音。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」という歌や「木から物のこぼるる音や秋の風」という句が浮かぶ。このように,かつては繊細であった日本人の音に対する感性は今どうなってしまったのだろうか。次々と歎かわしい状態が思い浮かび,つい思考が止まってしまう。何はともあれ,これまで長い年月にわたり日本人はこのように自然界の音で季節を知り,情緒を感じ,その中に喜びを見出していたのである。
その名残としてNHKのラジオ放送に「音にあいたい」という番組がある。人々の日常生活を音だけで表現しているものだ。こんな放送が長く続いているのだから,日本人の音に対する繊細な感覚も,まだ少しは残っているのだろう。
「今はもう秋,誰もいない海……」という歌もあるが,この季節には落葉の語りかけを聴きながら里山を歩くのがいい。すっかり葉を落とし色づいた柿に,秋の陽がねんごろに照り,遠くの山には新雪が輝いている。空はあくまでも青く澄みわたり,薄い綿花のような雲が思い思いの姿で風に流されていく。
歩き疲れたらお寺にでも立寄ってみよう。時雨にあった時などもいい。縁に腰を下ろして,濡れたもみじの紅葉を楽しむのも一興だろう。静寂を破り「コーン」と響く鹿威しの音,足下から響いてくる水琴窟。
私達は自然の調べにもっと耳を傾ける時間を持ちたいものだ。